99%努力の人生、『1%の努力』と出会ったら
こんにちは、shampooです。
今回は私の最高の家族について、ご紹介したいと思います。
良かったら、お付き合いください。
経緯
私の祖父は、不器用な努力家です。
戦時中に幼少期を過ごし、今は情報社会の荒波に揉まれています。
「定年したら自叙伝を書こうと思っていたが、文才が無く諦めた」と言っていたので、私が代わりにブログに残したいと思います。
論破王
先日、祖母が危篤状態になりました。
担当医からは「回復は見込めない」とお話をいただき、後はその時を待つのみとなりました。
ここから長い数日を過ごします。本当に1日1日が長かった。
少しでも気晴らしになればと、母が祖父に買ってきたのが『1%の努力』でした。
祖父は一言で表すと、努力の人です。そして、少し頑固。
そんな人に『1%の努力』が通じるのか、そもそも読んでもらえるのかと思っていました。
しかし、ひろゆきの力は凄かった。
祖母の葬儀で家族が集まった際に
「これまでたくさん努力してきたが、努力は1%で良いらしい!」
祖父は満面の笑みで語っていました。
こんな時ですが、家族全員盛大に笑わせてもらいました。
「ひろゆきが祖父の人生すべてを論破した」
300Wの電球
祖父は貧しい家の長男として生まれました。
屋根からは雨風が入ってきて、台風が来れば家族で家の扉を支えます。
更に戦中ということもあり、食べるものも少なく身体の発育が良くなかったようで、小中学校では背が小さい事が原因でイジメられていたようです。
「生まれ落ちた家が裕福だっただけで、中身はしょうもないくせに!将来絶対に見返してやる!」
祖父は環境のせいにして諦めたりはしませんでした。
当時の祖父のステータスは
・金→なし
・体力→なし
・芸才→なし
残された道は勉学のみです。
300Wの電球の光のもと、妹弟を背負いながら、みかん箱の上で勉強に励みます。
35kgの鉄人
残念ながら中学を卒業すると働きに出なければなりませんでした。
祖父は鉄工所で働くことになります。
鉄工所では採用の際に、健康診断を行うのですが、高校生の祖父の体重は35kgでした。
しかし、中学生が働ける場所は他にはなく、小さな祖父には過酷ですが、肉体労働をせざるをえません。
一方で、将来逆転のために勉強も必要です。
祖父は生活のために鉄工所で働きながら、夜間高校に通います。
しかし、夜間高校は祖父にとっては高校資格を取るための場所です。
祖父の目標は更に高い場所にあります。
大学合格です。
もちろん、お金も無いので県内の国立大学です。
夜間高校の勉強だけでは事足りるはずもないので、休みの日や学校終わりも勉強です。
休みの日は駅で勉強をします。
雨風が防げて、暖かく、明るいし、早朝深夜でも運営しています。
そして何よりお金は掛かりません。
最高の環境だったそうです。
35kgの小さな少年は将来逆転のために知恵を絞って、力強く生きていました。
手違い合格
99%努力のかいあって、見事国立大学に合格。
祖父はいつも『手違いで合格した』と言って大学時期の話をあまりしてくれません。
手違いということにして、ここはスキップします。
人生の勝者
大学卒業後は高校教師として働きます。
小さくて童顔の祖父は、周囲から舐められていたため「威厳のある教師になりたかった」と言います。
ですが、生徒から慕われる教師だったのでしょう。
卒業式で自分の担当生徒が涙してくれたと、嬉しそうに話していました。
当時勤めていた学校は進学校ではなかったのですが、祖父の教え子が複数人大学合格したりと、それなりの成果も残しています。
祖父は「自分は大学受験の勉強はしたが、学校の授業は受けてなかった。だから、学校の授業を教えられなかった」と言います。
大学合格者の輩出も、祖父のこれまでの人生があるから成し得たことだったのです。
また、威厳のない容姿にコンプレックスを抱いていたようですが、教頭にならないかと声がかかるなど、評価もされていたようです。
祖父の娘である母も、高校時代は担任の先生から、「〇〇先生(祖父)はその髪型について何も言わんのか!」とパーマ頭を注意されたり、何かに付けて祖父の名前が上がっていたそうです。
最終的に祖父は、教頭への誘いを断り、出世する道は選びませんでした。
色々事情はあるのですが、最終的にたどり着いた答えは
『お金をもったり、地位を築いても死んだら何も残らない。元気に長生きした方が勝ちだ』
99%の努力
その頃から、今日まで祖父は自分の健康にかなり気を遣っています。
準備体操、1時間の散歩、整理体操、空いた時間でストレッチ。
万歩計を見たら午前中だけで6000歩以上歩いていて驚愕しました。
頭も衰えないように、施設の人たちとの会話も欠かせません。
「自分の経験できることは限られている。どんなに年下でも、自分より未熟だと思っても、その人から話を聞く。人間誰しも良いところ悪いところがあるから、話を聞くだけで多くの学びがある。』
孫としては、危ない人とは出来るだけ距離を取って欲しいのですが、頑固な祖父は『大丈夫!あの人はそんなことしない!』と言って譲りません。
やりたいようにやって死ぬ方が良いと、諦めています。
そして、祖父の習慣の1つに、月に2冊は本を読むというのがあります。
この習慣のお陰で今の私があるのだと思っています。
昔から、母の勉強机の上にいつも新しい本を置いておくなど、祖父の家には沢山の本があったそうです。
そのため、私達も幼少期から家に本が沢山あるのが当たり前の生活を送っていました。
また、祖父母の家に行くと毎度、祖父のお古の本から好きなものを持っていけと言われますし、
必ず本屋に連れて行かれ「本なら何冊でも買ってあげる。本ならね」といつも最低1冊は買うように促されました。
その頃から私も本を読むことは好きだったので、喜んで祖父と本屋さんへ行っていました。
祖父の英才教育があったからか、私も母も大学では文学を専攻するまでの本好きに成長しました。
そんな祖父の頭の中の情報は殆どが本から来ています。
祖父は、兄が大学受験をする際に、大学情報や傾向、受験の日程等の情報をきちんと把握していました。
私達が塾やネットから得る情報をかなりタイムリーに収集していたのです。
「勉強するのは嫌いじゃない。亅
そう言っていた祖父も今は本だけではどうにも攻略できない難題に挑戦しています。
新たな挑戦
祖父のガラケーが古くなり買い換えようと思っていました。
また、私達は祖父母と離れて暮らしているのでビデオ通話が可能なスマホを持たせたいと考えていました。
まずは本人の意思を確認をすると、祖父はやる気満々。
遊びにいった際には本を購入し使い方の予習もしていました。
それならと、即スマホを購入。
私達が祖父母の家にいる期間に、教えられるだけ叩き込もうと、孫たちのスパルタレッスンが始まります。
やはり、歳もあってか寝たら忘れてまた1からになってしまいますが、祖父も頑張っています。
朝の5時から練習と言って電話を掛けてくるのはよしてほしいですが…
祖父母の家にはテレビもWi-Fiもないため、私は初めて祖父と将棋をしました。
スマホを教える代わりに将棋に付き合ってもらいましたが、何年もやってないからなぁ〜と言いながら祖父は私をボッコボコにします。
「昔のことは思い出せるのに、新しいことを覚えるのは大変になる」
と、弱音を吐いていた祖父も今ではスマホで麻雀をしています。
残念ながらビデオ通話まで教えることができませんでしたが、本では学べない新たな挑戦に立ち向かっています
『1%の努力』
さて、冒頭に戻りますが、こんな人生を送ってきて、尚も時代の流れに追いつこうと努力をしている祖父ですが、ひろきの『1%の努力』に論破されてしまいました。
しかし、私は努力で自分の人生を築き上げた祖父の事も尊敬しています。
じいちゃん、これからも元気でいてね。
おまけ
次回、祖父の家に行ったら私も読んでみます…
|